水俣協立病院では、内科・消化器・呼吸器・循環器・神経内科などを専門としています。
当時 | 現在 | |
名誉団長 | 上妻四郎 | |
団長 | 上妻四郎(上妻病院) | 藤野糺 |
事務局長 | 藤野糺(水俣協立病院) | 高岡滋 |
ほか団員 | ほか団員 |
年 | 月 | 県民会議医師団の活動 | 月 | その他の動き |
1908年 | 8月 | 日本窒素肥料株式会社(のちにチッソ株式会社)設立 | ||
1932年 | 5月 | チッソ、アセトアルデヒド生産開始 | ||
1944年 | この頃から魚介類の腐死が目立ち始める | |||
1953年 | 12月 | 水俣病第1号患者発病(後に判明) | ||
1956年 | 5月 | チッソ附属病院院長、水俣で奇病発生を熊本県に報告(いわゆる水俣病公式発見) | ||
1958年 | 9月 | チッソ水俣工場、アセトアルデヒド排水路を百間港から水俣川に変更し、以後、被害が不知火海以北地域に拡大。 | ||
1959年 | 11月 | 厚生省食品衛生調査会、水俣病の「主因をなすものはある種の有機水銀化合物である」と報告。同委員会は翌日解散。 | ||
12月 | 熊本水俣病患者、熊本県知事らの斡旋で、因果関係と責任は不明として見舞金契約を結ぶ。 | |||
1965年 | 6月 | 新潟県阿賀野川流域に第二の水俣病(新潟水俣病)発生。 | ||
1967年 | 6月 | 新潟水俣病第一次訴訟提訴(昭和電工を被告として) | ||
1968年 | 5月 | チッソ、アセトアルデヒド生産中止 | ||
9月 | 政府、チッソと昭和電工の工場廃水中のメチル水銀が原因だとの水俣病を公害病と認定 | |||
1969年 | 5月 | 水俣病訴訟弁護団結成 | ||
6月 | 熊本水俣病第一次訴訟提訴(チッソを被告とする、熊本地裁) | |||
1970年 | 平田宗男・上妻四郎医師ら、水俣現地で住民検診活動開始 | |||
1971年 | 1月 | 「熊本県民会議医師団」結成。団長:上妻四郎、事務局長:藤野糺(以降「県民会議医師団」と記す) | ||
3月 | 県民会議医師団住民検診、水俣市月浦 | |||
4月 | 熊大第二次水俣病研班発足 | |||
7月 | 環境庁発足 | |||
8月 | 環境庁、水俣病について「水銀の影響を否定出来ない者は認定」の通知(事務次官通知) | |||
9月 | 新潟水俣病第一次訴訟判決(原告勝訴) | |||
11月 | 県民会議医師団藤野糺医師、熊本医学会総会で「学童に及ぼしている有機水銀の影響について」の研究報告。患者多発地区児童の実態調査の結果、他地区と比べ、有機水銀の影響と思われる知覚障害など多いと発表。 | 11月 | 鹿児島県、出水市など不知火患者会沿岸地域住民健康調査実施。 | |
熊本県、不知火海沿岸住民検診アンケ-ト調査回収率93.4%と発表 | ||||
1972年 | 1月 | 県民会議医師団、水俣市内・その他地域の患者住民検診。症状を患者の生活破壊との関連でとらえた詳細な診断書作成にとりかかる。 | ||
3月 | 県民会議医師団、一斉住民検診の実施を熊本県に要請 | |||
4月 | 県民会議医師団・水俣病訴訟弁護団、市民会議の協力を得て(水俣病による患者家族の生活破壊の実態を調査)開始。(~7月) | |||
1973年 | 1月 | 熊本水俣病第二次訴訟提訴(チッソを被告とする、熊本地裁) | ||
2月 | 県民会議医師団、芦北町女島地区住民検診。38世帯122人のうち高校生・青年を除く36世帯87人が受診 | |||
3月 | 県民会議医師団、女島地区の住民検診結果を発表。36世帯受診中、87人全員水俣病、5人がその疑いと診断 | 3月 | 熊本水俣病第一次訴訟判決(原告勝訴。同年12月までに、チッソと補償協定締結) | |
熊本県の有明海住民に第三の水俣病発生 | ||||
6月 | 県民会議医師団、徳山湾で疑似患者診察。「水俣病類似症状1人。1人は有機水銀の影響を否定できず」と発表。 | 6月 | 山口県徳山湾で第四の水俣病発生(翌年6月、環境庁は第三、第四水俣病発生を否定)。 | |
熊大第二次水俣病研究班、報告書提出(有明海に第三水俣病など) | ||||
7月 | 県民会議医師団住民検診、田浦町。(7日から11まで。194人中、115人が水俣病と診断される) | |||
8月 | 県民会議医師団、水俣市周辺住民検診(~74年2月) 住民検診者数:158人、診断書発行件数:64件/td> | |||
1974年 | 3月 | 県民会議医師団住民検診、田浦町 | ||
5月 | 県民会議医師団、新潟県新南陽市で住民健康調査を実施 | |||
6月 | 環境庁水銀汚染調査検討委、有明海第三水俣病にシロ判定 | |||
7月 | 環境庁健康調査分科会、徳山水俣病もシロと判定 | |||
9月 | 公害健康被害補償法施行 | |||
10月 | 県民会議医師団住民検診、水俣市大園町・旭町 | |||
県民医連水俣診療所(藤野糺所長)、出水市桂島住民検診開始。受診した全員が水俣病またはその疑いと診断される。うち61人が集団申請し75年2月の審査会で5人が認定、9人が棄却、ほか保留の処分が下される(住民検診者数:65人、診断書発行件数:61件)。 | ||||
11月 | 県民会議医師団、出水市桂島での住民検診結果を発表(64人住民検診。水俣病48人、その疑い12人、手足のしびれ感90%以上など) | 11月 | 鹿児島県、出水市で希望者住民検診実施 | |
12月 | 県民会議医師団、出水市名護地区で住民検診。(住民検診者数:319人、診断書発行件数:153件。75年2月まで行う) | |||
1957年 | 7月 | 水俣市、山間部健康調査アンケート結果を発表。回答の26%が要住民検診 | ||
8月 | 熊本県、水俣湾周辺住民健康見直し調査実施。3分の1が要二次住民検診 | |||
9月 | 県民会議医師団・熊本県民医連、鹿児島県が棄却・保留とした出水市桂島の46人は水俣病と発表(環境庁と鹿児島県に報告書提出) | |||
11月 | 山間部住民健康調査二次住民検診終了(受診率67.6%) | |||
津奈木町山間部住民の一次住民検診結果を発表。539人が要住民検診 | ||||
1976年 | 1月 | 県民会議医師団住民検診、芦北町計石地区 | ||
4月 | 県民会議医師団・熊本民医連、棄却者22人について変形性脊椎証の見直し検診 | 4月 | 第二次訴訟第14回口答弁論。熊大立津教授「第三水俣病シロ判定に異論ある」と証言 | |
5月 | 県民会議医師団、鮮魚商集団住民検診 | 5月 | 津奈木町、山間部住民検診結果を発表。81人に水俣病の疑い | |
県民会議医師団・熊本県民医連、4月検診結果を発表。棄却者22人を検診し、うち12人は変形性脊椎証の所見なく水俣病との疑い | 1975年度有明海・八代海総合調査結果を発表。水俣湾はなお危険 | |||
水俣市、山間部住民検診結果を発表。216人に水俣病の疑い | ||||
7月 | 不知火海総合調査団医学班水俣で住民検診。8月5日より社会班調査開始 | |||
8月 | 水俣湾沿岸住民検診アンケート調査まとまる(36.3%、1800余人が住民検診を要す) | |||
9月 | 県民会議医師団、出水郡高尾野町住民検診 | 9月 | 田浦町、山間部健康調査一次アンケー結果まとまる(20%、560人が住民検診要す) | |
10月 | 県民会議医師団、桂島悉皆調査の対照地区として、奄美大島西阿室地区の成人76人を検診(桂島住民住民に最も高頻度で見られた四肢末梢性感覚障害を呈するものは一例も見られず、桂島において高頻度に出現した多くの神経症状がメチル水銀の影響であることが明らかとなる) | |||
1977年 | 県民会議医師団、芦北町鶴木山地区検診 | |||
3月 | 県民会議医師団、出水郡高尾野町住民検診 | 3月 | 水俣市、水俣湾周辺住民健康調査結果を発表(1.16%に疑い残る) | |
田浦町、山間部住民検診二次住民検診結果まとまる(19人が要精検) | ||||
4月 | 県民会議医師団、出水市名護住民検診 | |||
7月 | 県民会議医師団、芦北町計石・佐敷町田浦町住民検診 | 7月 | 環境庁、水俣病の認定基準に「症状組み合わせ」を導入 | |
8月 | 県民会議医師団、御所浦町で初の住民検診 | 8月 | 熊本県の認定患者1000人超える | |
9月 | 藤野糺医師、水俣第二次訴訟口頭弁論で県民会議医師団の活動目的と活動状況、病像確定のための検診について証言 | |||
10月 | 県民会議医師団、対象地区の奄美住民検診 | |||
11月 | 7年前の熊大調査で水俣市の濃厚汚染地区で中学生に多数の知覚障害が認められたと報道(熊日) | |||
12月 | 県民会議医師団、桂島住民検診 | |||
1978年 | 1月 | 県民会議医師団・熊本民医連、天草郡御所浦町嵐口地区で検診 | 1月 | 水俣市、水俣病健康調査始まる |
3月 | 水俣市、52年度住民健康調査結果を発表(22.8%に疑い) | |||
熊本県民医連、水俣協立病院開設 | ||||
4月 | 県民会議医師団、桂島住民検診 | 4月 | 鹿児島の認定患者200人を越える | |
水俣市住民健康調査第二次住民検診始まる | ||||
5月 | 鹿児島の棄却患者2名行政不服申し立てで認定棄却処分取り消しの裁決 | |||
7月 | 環境庁、再度水俣病の認定基準を見直し「蓋然性」を導入。以後認定数が激減(新事務次官通知) | |||
9月 | 県民会議医師団、天草郡御所浦町横浦住民検診 | |||
12月 | 県民会議医師団、天草郡龍ヶ岳町・御所浦町牧島住民検診 | |||
1979年 | ||||
3月 | 熊本水俣病第二次訴訟判決(認定基準は厳しすぎると批判。未認定患者を初の司法認定) | |||
6月 | 県民会議医師団、熊本熊本第三次訴訟提訴希望者に対する検診開始 | |||
9月 | 県民会議医師団、葦北郡計石住民検診 | |||
12月 | 県民会議医師団、八代市二見州口町で住民検診。半数に水俣病の疑い | |||
1980年 | 5月 | 熊本水俣病熊本第三次訴訟提訴(国・県・チッソを被告) | ||
8月 | 県民会議医師団、天草郡御所浦町嵐口住民検診 | |||
1981年 | 11月 | 県民会議医師団、鹿児島県東町獅子島御所浦地区住民検診 | ||
1982年 | 3月 | 県民会議医師団、天草郡御所浦町嵐口住民検診。25人検診して全員に水俣病特有の症状があり | ||
4月 | 東町御所浦で25名が水俣病集団認定を申請 | |||
6月 | 新潟水俣病第二次訴訟提訴(国と企業を被告とする) | |||
1983年 | 4月 | 県民会議医師団、御所浦町本郷を皮切りに潜在患者の掘り起こし検診開始 | ||
7月 | 県民会議医師団、出水市今釜・米ノ津住民検診 | |||
8月 | 県民会議医師団、葦北郡津奈木町赤崎住民検診 | |||
9月 | 県民会議医師団、出水市米ノ津・名護住民検診 | |||
10月 | 県民会議医師団、水俣市内住民検診 | |||
11月 | 水俣病第二次訴訟原告患者、死後解剖で認定される。 | |||
1984年 | 2月 | 県民会議医師団、出水市名護住民検診 | ||
4月 | 県民会議医師団藤野糺医師ら、77年8月から翌年4月に御所浦地区住民304人を対象に行った住民検診デ-タの分析結果を発表。長期的な微量汚染で発症したと考えられる症例が極めて多く、慢性水俣病を裏付けるものと公表 | |||
5月 | 熊本水俣病東京訴訟提訴(国・県・チッソを被告に水俣から移り住んだ患者が提訴) | |||
7月 | 水俣病被害者の会、県民会議医師団による前年4月からの掘り起こし検診結果を発表。2市5町28カ所で実施し、未申請者と棄却者計288人のうち250人に水俣病の症状 | |||
9月 | 県民会議医師団、出水市名護住民検診 | |||
10月 | 水俣病熊本第三次訴訟第25回口頭弁論にて藤野糺医師(水俣協立病院)原告主尋問で証言 | |||
11月 | 水俣協立病院、水俣病熊本第三次訴訟2陣原告の診断書作成開始 | |||
1985年 | 8月 | 熊本水俣病第二次訴訟控訴審判決(判断条件と認定審査会を批判・確定) | ||
9月 | 県民会議医師団上妻四郎医師、水俣病熊本第三次訴訟口頭弁論で患者の症状について証言 | |||
11月 | 熊本水俣病京都訴訟提訴(国・県・チッソを被告に水俣から移り住んだ患者が提訴) | |||
1986年 | 1月 | 県民会議医師団、天草郡新和町大多尾住民検診(14人中5人が水俣病の症状ありと発表) | ||
水俣病第三次訴で県民会議医師団の板井八重子・藤野糺・松尾和弘医師ら、原告の日常生活や疫学条件について証言 | ||||
5月 | 水俣病熊本第三次訴訟第25回口頭弁論にて藤野糺医師(水俣協立病院)原告主尋問で証言 | |||
8月 | 県民会議医師団、天草郡新和町大多尾住民検診 | |||
1987年 | 1月 | 県民会議医師団、天草郡御所浦住民検診 | ||
3月 | 水俣病熊本第三次訴訟第一陣判決(原告、国・県・チッソに勝訴。被告控訴) | |||
7月 | 近畿水俣病検診実行委員会(水俣病京都訴訟弁護団・医師団で構成)、県外居住者を対象に掘り起こし検診。82人が受診し、53人が水俣病、9人がその疑いと診断される | |||
11月 | 水俣病被害者の会、1000人不知火海大検診。実行委員会(実行委員長:県民会議医師団団長の上妻四郎)が不知火海一円19ヶ所で患者の一斉検診。1088人が受診し587人を水俣病、271人をその疑いと診断 | |||
1988年 | 1月 | 県民会議医師団、天草郡御所浦町住民検診。他水俣市内 | ||
2月 | 藤野糺医師、水俣病発生地域から汚染地区へ転出した患者53人の掘り起こし検診の結果、41人が水俣病とし、遅発性水俣病を裏付けたと発表 | 2月 | 熊本水俣病福岡訴訟提訴(国・県・チッソを被告に水俣から移り住んだ患者が提訴) | |
10月 | 県民会議医師団、1000人不知火海大検診の結果発表。受診者1084人のデ-タを分析し水俣病またはその疑いと診断された878人のうち、11%にあたる99人が昭和30年代前半に市場などで買った魚を食べて発病したとし、漁業関係者だけでなく一般市民の間にもかなりの潜在患者がいることを明らかにする。 | |||
11月 | 水俣病国際フォーラム(熊本市) | |||
1989年 | 1月 | 県民会議医師団、天草郡御所浦町住民検診。28人が受診し14人が水俣病、9人がその疑いと診断 | ||
4月 | IPCSが新環境保険基準 | |||
5月 | 県民会議医師団、IPCSの新クライテリア発表に伴い熊本県に対し「不知火海の水俣病についての調査要請書」提出 | |||
7月 | 原田正純熊大教授、熊本第三次訴訟第8回口頭弁論で、水俣病について疫学条件と四肢末端の感覚障害があればよいと証言し、現行の判断条件を批判 | |||
12月 | 県民会議医師団、天草郡御所浦・協立病院・湯浦福祉センターにて住民検診 | |||
熊本第三次訴訟控訴審で藤野糺医師、水俣病について症状の組み合わせを必要とする現行の判断条件を批判 | ||||
1990年 | 4月 | 熊本第三次訴訟口頭弁論で藤野糺医師、疫学条件と手足の感覚障害があれば水俣病と証言 | ||
12月 | 福岡高等裁判所、熊本水俣病熊本第三次訴訟原告と熊本県・チッソで和解協議開始(国は和解を拒否) | |||
1991年 | 7月 | 熊本第三次訴訟口頭弁論で、原告、被告側提出の「審査会資料に基づく意見書」を分析した原田正純熊大教授の「意見書」を提出 | ||
11月 | 中公審、環境庁長官に「今後の水俣病対策のあり方について」を答申 | |||
1992年 | 2月 | 水俣病東京訴訟判決(国・県の責任認めず) | ||
3月 | 新潟水俣病第二次訴訟判決(国の責任認めず) | |||
6月 | 政府、未認定患者を対象に総合対策医療事業を開始 | |||
1993年 | 2月 | 水俣病熊本第三次訴訟第一陣控訴審結審 | ||
3月 | 水俣病熊本第三次訴訟第二陣判決(国・県・チッソに勝訴) | |||
11月 | 水俣病京都訴訟判決(国・県・チッソに勝訴) | |||
1994年 | 7月 | 水俣病関西訴訟判決(国・県の責任認めず) | ||
1995年 | 12月 | 政府、水俣病政府解決策を決定し、村山富市首相が謝罪 | ||
1996年 | 5月 | 全国の裁判所で和解により解決。この解決により1万2371人が救済される。(関西訴訟は訴訟を継続) | ||
2001年 | 10月 | 第6回国際水銀会議(水俣市) |